
仏教では、 死んだ後に行く冥土(めいど)には地獄と極楽があるそうで、死者は生前の行いにより、どちらに行くかが決まるそうです。
極楽には死者を癒すまほうの水が絶え間なく湧いていると言われています。
さて、由良川の西岸にある和江(わえ)の村に与八(よはち)と言う、とても親孝行な若者がいました。
与八は朝早くから夕方遅くまで野良仕事に力一杯働きました。
その日も畑仕事をしていましたが、雨がポツリ、ポツリ降り出し、日も暮れてきました。
与八は急いで帰り支度をして、家路を急ぎました。
雨で体は濡れて寒くてかないません。
通りがかりの大雲(おおくも)の山道は、与八には歩き慣れた道です。
そこには湧水が湧いていましたが、この水は尊い水で手を付けてはいけないと言われていました。
そのとき与八はとても喉が乾いていました。
与八「手を付けてはいけないと聞いていたが、どうにも我慢がならん。」
与八は湧き水を両手に受けて一気に飲みほしました。
与八「ああ、生き返るようだ。」
それは今までに味わったことのないような美味しい水でした。
少し元気を取り戻した与八は、急いで両親の待つ家に帰りました。
ところが無理がたたったのでしょう、その夜から与八は高い熱が出て寝込んでしまいました。
母親「与八よ、どうにか元気になっておくれ。」
両親の手当ての甲斐もなく三日三晩熱が続いて、とうとう与八は死んでしまいました。
父親「せめて村人を呼んできちんと葬式をしてやらなくてはならんのう。」
母親「与八や、あの世で困らないように、しっかり送ってやるからのう。」
立派な葬式をしてもらっているころ、与八は多くの死人と共に薄暗い道をうなだれてトボトボと何日も何日も休まずに歩いておりました。
その先には現世と、あの世との境にある三途の川が流れています。
そこには奪衣婆(だつえば)と呼ばれる老女と、懸衣翁(けんえおう)と言う老人の番人がいて、三途の川の渡し賃として六道銭(ろくどうせん)を受け取り、金の無い者には代わりに着ている着物をはぎ取っておりました。
与八は葬式で六道銭を貰らっていたので舟に乗せてもらえ、難なく川を渡ることが出来ました。
川岸のはるか先に大きな楼閣があり、中には閻魔大王(えんまだいおう)がいらっしゃいます。
机の上には部厚い閻魔帳(えんまちょう)があり、人の善悪がすべて記帳されておりました。
与八の前の人は閻魔大王がいる前まで進み、頭を下げて名前をいうと閻魔大王が聞かれました。
閻魔大王「和江(わえ)から来たか、大和(やまと)から来たか。」
死人「和江からまいりました」
閻魔大王「大雲の水を飲んできたか、いなか。」
死者「飲んできませんでした。」
すると閻魔大王の顔は曇り不機嫌になり、
閻魔大王「そっちへいけ」
閻魔大王が塀に囲まれている鉄の門を開くと、血だらけの人が大勢うごめいている地獄の一丁目でした。
次の死者が同じように聞かれます。
閻魔大王「和江(わえ)から来たか、大和(やまと)から来たか。」
死人「和江からまいりました」
閻魔大王「大雲の水を飲んできたか、いなか。」
死者「の…、飲んできました。」
でも死者の言ったことは嘘でした。
閻魔大王は大きな虫メガネでじっと閻魔帳をご覧になります。
たちまちに顔が曇って嘘であることを見破られました。
そして大きな釘抜きを机の中から出して死者の舌を抜き取り、地獄へと追いやられました。
与八の番がきました。
閻魔大王「和江から来たか、大和から来たか。」
与八「和江からまいりました」
閻魔大王「大雲の水を飲んできたか、いなか。」
与八は少し考えてあの湧き水を思い出し、尊い水に手を出してしまったことを正直に答えました。
与八「飲んできました。」
閻魔大王は満面の笑みをうかべて、
閻魔大王「こっちへこい。」
と、与八に手招きをして、門のない広々とした方へ案内されました。
そこには、何ともいえぬいい香りがただよい、蓮の白い花が咲く池がありました。
与八「ここは極楽(ごくらく)と呼ばれるところだろうか。」
そこにいるのは、皆な幸せそうな温和な顔つきの人達ばかりです。
極楽では食べる物も着るものも満たされており、おだやかに暮らすことができます。
そして、あの尊い大雲の水が上がってきていて、極楽にいる人たちの病いを癒し、喉のかわきを潤しているのでした。
与八もその水を飲んで、あの大雲の湧き水を思い出し、長い旅の疲れが癒されました。
与八はいつまでも満ち足りた気分で過ごすことがでました。
正直者の与八だからこそ、死んでからも天国に行けたのでしょうね。
2025.03.28おつぎ